読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

一人では結論も出ないし聞き出すこともできない(1)

多分続かないとおもう(1)
貶めるつもりもないし崖もないので引用元張らない。

事柄にイメージを持っていること。

そのイメージが自分としては正しいと思っているけど人とは違うかもしれないと思うこと。

異っている分には何の問題もないこと。


正論であって異論は認めないように見える文が、議題のように見えるのは、なにかがおかしな状態なのだろうか。

これらを前提に他人が持っているイメージがよくわからない場合は目の前に現れれば聞いてみたいと思う。


まあうまくかけないのでうだうだ書くか。

何が気になったのかというと声を荒げていることがまず気になった。

不特定に向けたかのような特定に対するセリフに見えた。その対象の行動は特に声を荒げるような行動とも受け取れなかった。何に怒りを感じているのかがわからなかった。


何かが発動した。

そこに理解が難しい一文が発されたことで私の中で何かが発動した。パオーン。


まずは数が合わない。箇条書きされている状態の遷移が前のものと1:1に対応していなかった。二元論における話ではないのだろうか。もうすでに頭の中は大混乱だ。その後の文章に続く。前後は繋がっていたがなんだか腑に落ちない。理解不足だろうか。だんだんなんだか何かを発したくてしょうがなくなる。


最初の一文はこうだった。


「メイン説a、aに対し疑問を投げる反証b、bに対し実はa説が正しいのではと再度疑問を投げる反証c。

a説に則って生きる人もいればb説に則って生きる人もいる。それらはお互い否定しあわなければ共存できる。でも反証cを唱える人がいると共存が危うくなる。お互いを信じられなくする。」


とりあえず単文で見れば正しく見えるそれを見てみる。人がa,b,cがいて説a,b,cがそれぞれありaは単独の意見、bはaの反証。cはbの反証でaの同意見。二元で考えた場合は、a=cとなるはずだ。cさんはbさんの意見に反論し追加の証拠らしきものを出しaさんに同意したという流れだ。

それはbの反証としてのcが現れるとa,bのバランスが崩れてしまいa,bの共存ができなくなるというもの。

その文章の意図仔細まではわからないが現実で想像して見た。

a,bが会話している中には他者がどちらかの意見に同意するために反証を示すものがダメであるかのように受け取れた。評論家は介在するなという話だろうか。しかし一方向にのみ介在する評論家しかいないような場合はなかなか存在しないだろうと思われるので間違っている気がする。


続く文章にはこう書いてあった。


「本当はabcのどれも正しくないかもしれないのに。引っ掻き回す必要もないはずなのに。a説もb説もある、ただそれで終わらせておけばよい。そこに何かのマイナス点を見つけなければ気がすまないというのなら、自分の感覚や生き方に則った選択ではなく他者の言葉を盲信しているに過ぎない。」


前半でまず?となった。むやみに引っ掻き回す必要はない。それはそうだろう。無闇とはなんだろう。一方向に偏ることだろうかとどうしても方向が気になってしまうがabcが並列に書かれているので違うとする。引っ掻き回す存在としてcが出してきたbに対する反証をaが認知していない状態だろうか。それも違う気がする。aとbが集団として捉えられていたのでa=右翼b=左翼にわけるか。そうするとcは中道右派と言ったところだろうか。全然破綻しない。よくわからない。本当によくわからなかったのだ。abcにおける反証の示し方が違うのだろうか。違わないようだ。どちらも「疑問」を投げかけるとのことだ。母数の差だろうか。aがメインとなっているのでa派は数が多いのだろうか。b派はサブとしてどれくらいの数いるのだろうか。aには満たないとしてその状態でcがbに反論しに近づくならばbが存続の危機???

数の問題ならバランスは崩れるかもしれない。ここが突破口なのだろうか。

単純に数が増減する話だろうか。そんなバカな。もうわからないから次へいく。マイナス点を見つけることに腐心することについては引っ掻き回しに見えることもあるだろう。それは何の分野の話だろうか。哲学の話の中でマイナス点のみ探し続けたり文学作品にマイナス点のみ探し続けたりすることは不毛と言って然るべきかもしれない。しかし生活の中に現れる事象はそれらだけでは語られまい。+と-は符合に過ぎない。しかし罵倒は常に-にしか見えない。そういうことだろうか。今日もこのまま答えにたどり着くこともない考えを巡らせながらまどろみに沈んで行くしかないのだろう。


オチはないし結論も出ないし聞き出すこともできない。

貶めるつもりもないし崖もないので引用元張らない。