記憶力やワーキングメモリがないということに許しを求める性根

面白いことを言う(?)人である状態とは、思いついた時にすぐにメモができて忘れないようにできる状況にいることが一番近いのは確かだと思う。私も皆々様の想像に違わず面白いことが言いたいのでメモをジャーナルにダラダラと書き流しているが、そのジャーナルはインデックスが張ってないので後から辿ることができずメモを取る労力ほどの意味すら無いものとなっている。

結局のところ記憶力だよりでふっと思いついたことを、改めて書こうと思った時にふと思い出せるような記憶力があればいいのではないかと思うところの私であります。

しかし記憶力の無さというのはどれくらいないのか分かってないけれども自分では人より相当ないと思っていて、でもそれはある分野に造詣が深く、いろんなことを沢山知っている人たちがそれなりに使っているであろう時間分と同じくらい使ったとしても同じくらいは覚えられないであろうってくらいの記憶力の無さだと思うので、まったくもって言葉が喋れれないようなレベルではないかもしれないが、それを喜んでいられるわけもないので、いつでも日々悲しみに暮れているわけである。

美醜に関わる不安を抱えながらもいつまでも不安を解消できないままコンプレックスを消せないのは記憶力のせいでないかと思ったりしたけれどもやっぱりそんなことはなくっていま記憶力について考えているからそういったことが考えついただけです。

何か一つのことを考えていたとして、結局のところ自分のコンプレックスと紐付けることばかりに思考が向いてしまい、自分語りになって終わってしまうのが、バカの性だ!

ADHD特有ののワーキングメモリの少なさがあるってあれは本当なのだろうかと思いながらそれがあるからしょうがないよねって思えるのとしょうが無いから向かないことはやめて向くことだけやろうねなんて言って自分がやりたいことをやめてしまうのは嫌。